はじまりの日

もう長いこと、自分の意見をきちんと書く機会を、失っていた気がする。

それは自分と向き合う時間さえ惜しんで、他の何かに目を向けようとしていたから。

でも磨くことを忘れた鏡はもう曇っていて、そんな自分が、自分を見えなくなってしまうのは、至極アタリマエのこと。

 

誰かのせいにすること、について書こうと思う。

僕はもう長いこと、働いてきて、心がけてきたことがある。

それは頼らないこと。頼りきらないこと。

それで失われた機会も多いと思うけれど、今もそれを続けている。

 

会社は大きい。自分ではどうにもならないようなことはあるかもしれない。

経験のある人は凄い。自分よりも広い視野と優れた知見を持つかもしれない。

 

だけど僕は、何かがうまく行かなかった時に、彼らのせいにしたくない。

その途端、思考は停止してしまうから。

自身の無力さを、自分で認めてしまうから。

 

電車は大きくて、重い。素手では止められない。

だから電車は止められないと諦めるのか。

電車が大きいなら、運転手を口説き落とせばいい。

あるいはその上のシステムを。壊れてもいいなら線路に小細工するのもありだろう。

 

どうにもならないことはない。

逆にそう定義することで、力は無限になる。

うまく行かなかった時に自分が被る責任感や無力感はその分大きくて、

辛いことも多いけれど。

けれど、僕はそれでも自分を信じている。絶対の信頼をおいている。

だからこそ、全てを自分のせいにするのだ。

 

期待していないものに失望することはない。

僕はいくども自分に失望してきている。

それは傷となって時には致命傷になることすらある。

でもそのたびにそれを癒やし、克服してきた。

そうやって、成長してきた。

これは辛い生き方かもしれない。

だけど、俺はこれが正しいと信じている。